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2013.07.16.10.56

たっちみー

ドアーズ (The Doors) の第4作『ソフト・パレード (The Soft Parade)』 [1969年発表] の収録曲『タッチ・ミー (Touch Me)』は、その先行シングルとして発表されて全米でヒットし、『ハートに火をつけて (Light My Fire)』 [アルバム『ハートに火をつけて (The Doors)』収録 1967年発表] や『ハロー・アイ・ラヴ・ユー (Hello, I Love You)』 [アルバム『太陽を待ちながら (Waiting For The Sun)』収録 1968年発表] と同様に、バンドを代表するナンバーとなった。
だけれども、それは決してバンドの好調を告げるモノでもないし、そのリーダーであるジム・モリソン (Jim Morrison) のキャリアを評価するに足るモノでもなかった。
バンドの歴史を振り返ればむしろ、最悪の最低の時季の楽曲であるし、後に迎えるジム・モリソン (Jim Morrison) の悲劇的な死を想えば、彼が活きているだけまし、とも断定してしまっても不思議ではない時だったのかもしれない。

良くも悪くも、その年の春に起きたマイアミ事件 (The Miami Incident) が影を落としていた。半ば神話的な説話として、バンドの歴史に登場するあの事件、つまり、ジム・モリソン (Jim Morrison) がステージ上で性器を曝け出そうとした、と語り継がれているあの事件の事である。

事の真相はよく解らない。

その素振りをみせただけとも語られているし、露出するその以前に逮捕されたとも言われる。
だが、実際のその時の彼の行動がどうあれ、軽犯罪および重犯罪容疑で起訴されて、その裁判は長期に渡った。
その事件の有無以前から、官憲が眼を付け狙っていたという事情にもよるのだろうし、また、ある意味で、一罰百戒、スケープゴートとされたとも、言う事が可能かもしれない。

ともかく、当時のジム・モリソン (Jim Morrison) の創作意欲は喪失されていて、作品の中における勢威はかつてない程に、衰えていた。それは楽曲におけるクレジットを観るだけでも解る。ギタリストであるロビー・クリーガー (Robby Krieger) の手になる楽曲が大半を占め、遺りをメンバー全員の共作が埋める事になってしまっている。
この『タッチ・ミー (Touch Me)』も、クレジット上は共作扱いだけれども、実際はロビー・クリーガー (Robby Krieger) の作品だ。

尤も、先に揚げた『ハートに火をつけて (Light My Fire)』 [アルバム『ハートに火をつけて (The Doors)』収録 1967年発表] や『ハロー・アイ・ラヴ・ユー (Hello, I Love You)』 [アルバム『太陽を待ちながら (Waiting For The Sun)』収録 1968年発表] の様に、シングル・ナンバーはかねてより、ロビー・クリーガー (Robby Krieger) の作品ないしは彼主導の楽曲が多い上に、ドアーズ (The Doors) というバンドの、ポップな色彩は彼の手になるモノが多いのだから、ある意味でそれは既定路線の延長線上にある事だけなのかもしれない。

むしろ、それ以上に危惧すべきなのは、作品全体を覆い隠すかの様に、華麗にそして過剰に鳴り続けている、ストリングスやホーン・セクションの響きなのである。
それは、彼らの楽曲をさらなるポップ・フィールドで鳴り響かせる為に、施されているのではないからだ。むしろ、アイデアやデモ・テイク程度にしか精錬されていない彼らの演奏を補完する為にのみ、その役割を与えられているのである。
つまり、未完成作品をさも、完全な作品であると、聴くモノに信じ込ませる為にしか、機能していないのだ。

それは表題曲であると同時に、最終収録曲である『ソフト・パレード (The Soft Parade)』1曲だけを聴くだけでも充分に理解可能だ。
デヴュー・アルバム『ハートに火をつけて (The Doors)』収録 1967年発表] 収録の『ジ・エンド (The End)』、その次作『まぼろしの世界 (Strange Days)』 [1967年発表] 収録の『音楽が終わったら When the Music's Over』に次ぐ形で、ジム・モリソン (Jim Morrison) の長編詩にテーマを求めて制作されたこの楽曲だけれども、ふたつの先行作品から遥かに劣っているのは、誰が聴いても理解できるだろう。

恐らく、前作『太陽を待ちながら (Waiting For The Sun)』収録 1968年発表] では、ブックレット上では長編詩『セレブレーション・オブ・ザ・リザード (Celebration Of The Lizard)』が掲載されたものの、その音楽化作品が収録出来なかったという経緯があると同時に、ドアーズ (The Doors) というバンドの音楽性とその商品性にとって、この様な楽曲の収録が必至のモノだったからなのだろう。

ポップ・スターとしてのアイコンであると同時に、高度な文学性に裏付けられた詩人、本来ならば、共存不可能とも想えるテーゼを内包しているのが、ジム・モリソン (Jim Morrison) というカリスマなのである。
彼に求められているのは、その危うい共存であるのは、誰もが [当時も今も] 知っているだけに、プロデューサーであるポール・A・ロスチャイルド (Paul A. Rothchild) ら製作陣は、その両方を作品の中で堅持しようとしたのであろう。

だけれども、ジム・モリソン (Jim Morrison) の二面性のうち、前者はともかくとして、後者の発現が叶う事はなかった。
と、アルバム『ソフト・パレード (The Soft Parade)』 [1969年発表] を看做す事が出来るのではないだろうか。

images
タッチ・ミー (Touch Me)』を再び聴いてみる。
キーボーディストであるレイ・マンザレク (Ray Manzarek) 独特の、短いパッセージの連打に続いて登場する曲冒頭の、ジム・モリソン (Jim Morrison) の性急な叫びは、誰にも真似しようがなく、曲の最終部に於いてブロウされるサックス・ソロとそれを打ち破る、暴力的で強引なストリングスのコーダは、ドアーズ (The Doors) という特異なポップ・グループとしては最良のエンディングである。
この曲においてぼく達は、ロック・ヴォーカリストとしてだけのジム・モリソン (Jim Morrison) の才能を感受すれば、それでいいのだ [掲載画像はこちらから]。

次回は「」。
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