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2008.01.08.20.47

くうさつ

って書くとなにやらありがたい仏教用語かなにかの様に想えてしまうのだけれども、漢字変換すると「空撮」。
映画 / TV用語でした。

以前のブログで、空撮から物語が始るミュージカル映画の話を書いたり、このブログでのこの連載でも以前に「凄く嫌な、痛ましくもやるせない」空撮の事を書いた記憶があります。
そして、必ずしも空撮の映像的ロジック総てを解説したものではありませんが、それを含むこのこの「俯瞰 / ロング・ショット」という記事には、空撮を必要とする映画の、ひいては物語の映像的な技術論が触れられています。

だから、そこからちょっと離れた余分な話をここでは書いてみたいと思います。

例えば。
アルフレッド・ヒッチコックAlfred Hitchcock)の映画『The Birds)』におけるガソリンスタンド炎上のシーンの、空からの俯瞰ショットが、何故、怖いのか?


ストーリー上では、"鳥"の恐怖を主人公達が、街の人々に訴える為に、コーヒーショップを訪れ、そこから、"鳥"の恐怖が主人公達のみならず、街全体へと拡大していくという状況での映像です。
主人公達の訴えを、最初は当然の様にコーヒーショップに集う人々は信じようとしない。何故ならば主人公達の主張は「"鳥"がヒトを襲う」という荒唐無稽のものだから。しかし、突然、店の外で大きな物音がする。窓から外を観た人々は、[偶然にも]鳥がガソリンスタンドの店員にあたり、その男が倒れている光景を発見する。大騒ぎで被害者を助けにいく人々。そして、店に残った人々は、さらなる恐怖を発見する。彼が倒れた事によって、[偶然にも]ガソリンが漏れ出してその流れは止まらない。さらに、[偶然にも]煙草に火をつけようとするヒトの足許へと、その流れが辿り着いてしまう...。

と、ここまでは、主人公達と同じ体験をしていた筈の我々観客も、実は、"鳥"の恐怖に関しては、実は半信半疑な状態で、今、眼前に転回されている事故は、ちょっとした不幸な偶然の積み重なりが産んだ惨事の様にみえる。
何故ならば、くどい様だけれども、ここまでの状況を極めて客観的に描写してみると、次の様な文章にしかならないからだ。

ガソリンスタンドで作業中の従業員に野生の鳥がぶつかって、従業員は負傷する。その結果、給油中のガソリンが店内に溢れ出し、ポイ捨てされた煙草に引火してしまう。現場では火災が発生し、授業員一名と偶々居合わせた客一名が重傷を負った模様」

その模様を、アルフレッド・ヒッチコックAlfred Hitchcock)は、もしかしたら何処にでも起きうる、そんな事故の発端から大惨事へと発展して行く過程を、テンポ良く小気味よい物語運びで、我々を魅せて行く。そこには過剰な演出も大胆なカット割りもなく、ナニモノも解決出来ずに終始、狼狽している人間達を描写している。
それから画面は地上で起きている大惨事の現状を我々に観せる為に、ぐぅんと上空にひいた、空中からの俯瞰ショット、つまりは空撮映像へと切り替わる。
その状況説明の為の空撮映像に画面が切り替わった瞬間、一瞬の沈黙。否、沈黙ではなくて、"鳥"の翼が風を斬る音が聴こえる。そして、アルフレッド・ヒッチコックAlfred Hitchcock)は、ここで、この火災現場上空の画面に数羽の"鳥"をふうわりと飛来させる。
そこが怖い。
と、いうのは、この一連の災害は偶然が産み出した事故ではなくて、総べて"鳥"自らの意思によって引き起こされた事件であると、ここで気づかされてしまうからだ。つまりは、「"鳥"がヒトを襲う」その瞬間がこの映像表現だ。

映像の技術論で観てみれば、状況説明である筈の俯瞰 / ロングショットである空撮映像に、鳥が一羽映り込むだけで、その状況説明という客観的な映像が、"鳥"の主観ショットへと転化してしまうのだ。それによって、その火災[事故ではなくて放火という事件]を仕組んだ加害者の意識を、この映像を観るものに想起させてしまうのである。
客観的な視点を意味する「鳥の眼」が、文字どおりの「"鳥"の眼」[しかも意思を持った]に転化した訳ですね[英語で言い換えてもここは同じ。"Bird's-eye View" in this shot is changed to Real Bird's Eye]。

以前、キングギドラの主観ショットが感動的であるとここで述べましたが、そのオリジンがこれなのでしょうか?

The Birds)』という映画の怖さは、意思持たざる[筈の]ものが意思を持っていると知ってしまった恐怖、そして、そのものが己らを襲う彼らの意図が理解出来ない恐怖です。その後、ありとあらゆるパニック映画やホラー / オカルト映画の常道となった手法ですが、大概の場合は下手な擬人化(Personification)に堕してしまいます。それを避ける為のヒントは、まだまだこの映画にはあると思いますが。如何でしょう。
例えば、上に記した"ふうわりと"という表現をさせた演出方法。ギャースギャース啼き啄む"鳥"が画面を黒く覆うパニック・シーンよりも、静かにそして柔らかな表現の方が、この映画では怖いシーンの様な気がします。

ところで、最近のニュース番組では、ほんのちょっとした些細な事件事故[と、いってしまうと凄まじく語弊があるのだけれども]でも、現場上空に撮影班を飛ばして、空からの現場の模様を報道しています。そして、そんな映像を観る度に、取材機内部の「う"ぃーん」という機械音が、耳について離れません。逆に言うと、画面を観ずともTVから流れる「う"ぃーん」という機械音を聴くだけで、上空からの取材が行われているのだろうという想定が出来る程です。と、言う事は、いずれそのうち、「う"ぃーん」という機械音を効果的に使用した映像表現が出てくるのではないでしょうか?

もう既に出ているのかもしれないけれども、寡聞にしてしりません。

但し、似た様な表現方法として、森田芳光(Yoshimitsu Morita)監督の『家族ゲームThe Family Game)』のエンディング・シーンでは、睡魔に襲われて微睡み始めた"家族"の背後で、ヘリコプターHelicopter)のジャイロの回転音が大きく鳴り響いていた事を挙げておきます。

次回は「」。
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