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2013.02.03.12.08

死のうとした夜のお終り 第4話:The End Of Nights We Tried To Die episode 4.

ストレッチャーから別のストレッチャーに移し替えられる。
それと同時に、たったひとりを除き、総ての役者は交代する。

ここまでぼくを搬送して来た彼らの役目はここで終わる。顔こそみえないけれども、安堵の気配は嫌でも解る。今、彼らにとって大事なのは、引き継がれるぼくの身体に関する申し渡し事項と諸手続きと、それへのサインだけなのだ。

だから、これまで必死の形相だった彼らに、お礼の言葉を告げるタイミングを一切、喪ってしまう。

「まぁいいや」
お大事に、の一言さえぼくに投げかけなかった彼らだもの。

こんな事を考えている間に、ぼくを載せたストレッチャーの行き先が定まったらしい。

その間にも、めまぐるしい程に、いくつもの顔がぼくを看、いくほんもの腕がぼくの身体のあちらこちらに器具を装着していく。
そして、矢継ぎ早に、ぼくに質問を浴びせかけてくる。

名前、住所、生年月日、症状、原因 ,,, 。
それらはその後、なんどもなんども問いかけられるものであって、しかもそれは、先程既に、もうここにはいない人たちから浴びせかけられたものなのだ。

だからぼくからのこたえは、次第次第に、要点も要領も整理されて、誰からも解りやすいものへと洗練されてゆく。そうして、誰もが望む様な、誰もが安心する様な物語へと収斂されてゆく。語られなかった、もしくは、聴きたくもなかった、枝葉末節の方に、真実がたとえあったとしても、それは誰も必要としないものだ。
ぼくですら、それらは、なかったものとして、これからも語りづけるのに違いない。

だけれども、その時は、僅か二度目の問いかけであって、しかも、ぼくはいつものぼくからみれば、随分と出来損ないになってしまっている。
鸚鵡返しに応える事が精一杯だ。でも、それが出来るだけでも充分だろう。

そうして、ストレッチャーはスピードを増してゆく。
映画やTVで観た映像そっくりだなぁと思いながら、ぼくは己の主観ショットに見惚れてしまう。
自身の身体は一切動かずに、ぼくを囲む様に並走している人々の上半身の動きを下から眺め、その向こうにある天井はどんどんと、下から上へと走り抜ける。

だけれども、物語の中で観る事の出来る主観ショットと、今、ぼくの目の前で繰り広げられている光景との差異には、どうしても気づかざるを得ない。

なにかが違うのだ。それはなんだろう。本当に違うのだろうか。

多分、映像で体感する主観ショットは、ストレッチャー上の人物のものではないのだろう。
その主観ショットは、据えられた視点こそストレッチャーから仰ぎ見たものだけれども、それを実際に観ているのは、医師や看護師や付添い達なのだ。彼らの意思や意識が、当の本人に成り代わって観ているものに違いない。

廊下の天井から、エレヴェーターの天井、そして廊下の天井へ。次ぎから次へと、ぼくの視野の最奥が変わってゆく。

そして、ある室内に到着する。そこでまた、これまで載っていたストレッチャーから別のものに、ぼくの身体は移し替えられる。
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