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2013.01.29.10.09

ぽっぷあーと

この連載ネタとしては、大き過ぎる主題かもしれない。
だから、何回かに渉って書き進められるべきモノかもしれない。それを前提にして、表題は単なる『ぽっぷあーと』ではなくて『ぽっぷあーとそのいち』とか『ぽっぷあーとゔぁーじょんわん』とかすべきかもしれない。
ああ、『〜ゔぁーじょんわん』だったら、ルールに従って、この連載が終焉してしまうから、それは却下だ。
それに、これまでの経験則上、語尾ないし文尾が「ぽ」となる様な語句は、めったに遭遇する様な事はないから、安易に、続篇を想定させる様な表題にするのも、危ういモノがある。

仕様がない。
このままだ。

だから、エックス・ティー・シー (XTC) 初期の代表曲『ディス・イズ・ポップ (This Is Pop?)』 [1978年発表 『ホワイト・ミュージック (White Music)』収録] をBGMにしながら、その辺のややこしい些事はすっ飛ばして往く事にする。
そもそも、本題で取り上げるべきモノ自体がややこしいからだ。

images
印象派 (Impressionnisme) という言葉が、クロード・モネ (Claude Monet) の油彩画『印象・日の出 (Impression, soleil levant)』 [1873年制作 記事は既にこちらに書いてある] から始まった様に、ポップ・アート (Pop Art) という言葉も、ひとつの作品から始まっている。
リチャード・ハミルトン (Richard Hamilton) の『いったい何が今日の家庭をこれほど変え、また魅力的なものにしているのか (Just What Is It That Makes Today's Homes So Different, So Appealing?)』[1956年制作] だ。

この作品に登場する、モノクロームのボディビルディング (Bodybuilding) 選手 [アーヴィン・コシェフスキ (Irvin "Zabo" Koszewski) という人物らしい] の手にしているオブジェにでかでかと描かれているポップ (Pop) の文字を採って、これ以降、ポップ・アート (Pop Art) という呼称が興ったと言う。

と、尤もらしく語られてしまうと、納得せざるを得ない様な風情の最中に横着してしまいそうだ。
だけれども、このポップ・アート (Pop Art) という呼称の発現とされるこの作品を睨みながら、冷静に考えると、ぼく達の良く知っている、馴染みのポップ・アート (Pop Art) 作品とは、どこかしら微妙に違う。

クロード・モネ (Claude Monet) の油彩画『印象・日の出 (Impression, soleil levant)』がどうにもこうにも、どこから観ても印象派 (Impressionnisme) の佇まいなのとは、勝手が違う。
単なる思い込みだからだろうか。それとも、そんな趣旨を前提にしなければ、論旨を進める事が出来ないからだろうか。

そんな責めを自身の内部に背負い込むと、いっかなおうにも、文章が先へと進まなくなるから、その辺りは『ディス・イズ・ポップ (This Is Pop?)』の激しいビートに揺さぶられるふりをして、モノの見事に忘れてしまおう。

それよりも、一体、どこが違うのか、その泣いた赤児の数を数え上げる方が、先だろう。

例えば『いったい何が今日の家庭をこれほど変え、また魅力的なものにしているのか (Just What Is It That Makes Today's Homes So Different, So Appealing?)』の中に溢れかえっている様々なイメージ、もしくは、様々なオブジェは総て、コラージュ (Collage) と言う手法によって、この一画面を構成している。
そして、コラージュ (Collage) と言えば、辞書的な意味では、その技法の発明者はマックス・エルンスト (Max Ernst) であって、美術潮流の中では、シュルレアリスム (Surrealisme) に分類されるヒトである。
彼のコラージュ (Collage) もまた、シュルレアリスム (Surrealisme) の表現手法のひとつとして、その具象化に寄与する為に産まれたのだ。

彼の、『百頭女 (La Femme 100 Te´tes)』 [1929年発表] でも『慈善週間または七大元素 (Une Semaine De Bonte)』 [1934年発表] でも『カルメル修道会に入ろうとしたある少女の夢 (Reve d'une petite fille qui voulut entrer au Carmel)』 [1930年発表] でもなんでもよいのだけれども [しかも、最期の1作品をのぞいた前2作品は河出文庫で入手可能だ] 、それらのどれかを手に取ってみれば、解るのだろうけれども、当時の殆どの出版物に使われた木版画等から"コラージュ (Collage)"されて生成された画像のどれもが、寂しげな浮遊感と静かな喪失感と不思議な現実感が横溢している。
そして、それはシュルレアリスム (Surrealisme) の特色のひとつである、無意識や夢を意識的に作品のなかに投影させる手法そのままなのである。

いつかどこかで観た様なモノを、これまで想いもよらなかった素材を引用し、それらを想いもよらない場所で統合化させて有視覚化させる事、大雑把な表現をすれば、それがマックス・エルンスト (Max Ernst) の手法であり、彼が産み出したコラージュ (Collage) という手法であり、彼が属するシュルレアリスム (Surrealisme) という表現形式なのだ。
だから、一見、てんでバラバラなモノモノが、一堂に会するその手法は、非常に攻撃的でもあり暴力的でもある。
その結果、それぞれの属するモノの実体や、それぞれが内に孕んでいる特質や、それぞれが秘密裏に隠している正体が、白日の下に曝け出されるのである。

では、と翻って、同じくコラージュ (Collage) という手法で制作された、リチャード・ハミルトン (Richard Hamilton) の『いったい何が今日の家庭をこれほど変え、また魅力的なものにしているのか (Just What Is It That Makes Today's Homes So Different, So Appealing?)』にそんなシュルレアリスム (Surrealisme) 的感覚やシュルレアリスム (Surrealisme) 的思想があるかのと質されると、必ずしも諾とは言い難いモノが、そこにある。
むしろ、それとは全く異なるモノが表出している様に思えるのである。

例えば、その画面に登場するふたつの肉体を取り上げるだけでも、それは解る。
ひとつは筋骨隆々として逞しい肉体美を、ひとつは艶やかに滑らかに媚惑的な官能美を、たたえている。だけれども、と同時に、そのどちらもが陳腐で下司だ。
そんなふたつの肉体が、彼らの背景とする1950年代の典型的な装いの居間に登場したとしてもなんら、不思議はない。そこに配されたTVを始めとする様々なオブジェは、どこにあっても不思議ではない。
つまり、過剰なデフォルメ、突出したセンセーショナリズムは潜んでいるかもしれないが、決してあり得ない光景ではない。むしろ、現実をそのままトレースしてカリカチュアライズさせたモノでしかない。
そして、それはシュルレアリスム (Surrealisme) の技法や思想と真っ向から、対立するモノでもある。

つまり、前の世代にあたるシュルレアリスム (Surrealisme) の手法を自家薬籠中のモノとして、さらに、全く異なるヴィジョンを提示しようとする、それがこの作品における意義であり、それ故に、ポップ・アート (Pop Art) という新しい称号を得たのだろう。
シュルレアリスム (Surrealisme) が想いもよらぬ素材からの引用から始まった様に、この作品はシュルレアリスム (Surrealisme) からコラージュ (Collage) そのものを引用して、シュルレアリスム (Surrealisme) らしからぬ、もしくは、シュルレアリスム (Surrealisme) から断絶した、現実そのままを構築してみせた。
そんな解釈が成立するのではないだろうか。

そお言えば、ボディビルディング (Bodybuilding) の男、アーヴィン・コシェフスキ (Irvin "Zabo" Koszewski) のもっているオブジェはよくよく観れば、ロリポップ (Lollipop)。
そして、ロリポップ (Lollipop) の代表的な商品でありブランドである、チュッパチャプス (Chupa Chups) のロゴ・デザインを手がけたのは、サルバドール・ダリ (Salvador Dalí) だ。

ここにも、シュルレアリスム (Surrealisme) からの引用が見て取れる、と勇んでみたいところだけれども、それぞれをきちんと時代考証してみると、実はその逆である事が、解ってしまう。
いったい何が今日の家庭をこれほど変え、また魅力的なものにしているのか (Just What Is It That Makes Today's Homes So Different, So Appealing?)』が1956年の制作であるのに対し、サルバドール・ダリ (Salvador Dalí) がチュッパチャプス (Chupa Chups) のデザインを手がけたのは、その2年後の1958年なのだ。
チュッパチャプス (Chupa Chups) の考案者アンリック・バルナット (Enric Bernat) 自らが、サルバドール・ダリ (Salvador Dalí) を招待して接待し、彼にデザインを依頼し、そのオファーをサルバドール・ダリ (Salvador Dalí) はその場で引き受けて、手書きのラフをアンリック・バルナット (Enric Bernat) にそのまま提供したというのである。

ある意味で、後に登場する様々なポップ・アート (Pop Art) の作家群や彼らの作品群を観ながらポップ・アート (Pop Art) という言葉を咀嚼してみれば、サルバドール・ダリ (Salvador Dalí) とチュッパチャプス (Chupa Chups) を巡る、こんな逸話の方が、『いったい何が今日の家庭をこれほど変え、また魅力的なものにしているのか (Just What Is It That Makes Today's Homes So Different, So Appealing?)』よりも遥かにポップ・アート (Pop Art) らしいと、言えるのではないだろうか。

そおゆう意味では、リチャード・ハミルトン (Richard Hamilton) という画家をポップ・アート (Pop Art) に分類するのを躊躇うむきも出てくるかもしれない。

だが、安心したまえ。

彼は、ザ・ビートルズ (The Beatles) のアルバム『ザ・ビートルズ (The Beatles)』 [1968年発表 通称『ホワイト・アルバム (The White Album)』] のデザインも手がけているのだ。それをポップ (Pop) と呼ばずになにをポップ (Pop) と呼べばよいのだ。
尤も、あの真っ白な佇まいは、ポップ・アート (Pop Art) というよりも、ミニマル・アート (Minimal Art) のそれに近いのだけれども。

次回は「」。

附記 1. :
シュルレアリスム (Surrealisme) とポップ・アート (Pop Art) との関連性を考えるのであるならば、忘れてはならないモノのひとつに、マルセル・デュシャン (Marcel Duchamp) の一連のレディ・メイド・シリーズ (Ready Mades) がある。
それらはむしろ、シュルレアリスム (Surrealisme) よりもダダ (Dada) に近いのかもしれないが。

附記 2. :
これよりも前に、サルバドール・ダリ (Salvador Dalí) は映画『アンダルシアの犬 (Un Chien Andalou)』 [ルイス・ブニュエル (Luis Bunuel) 監督作品 1929年制作] に脚本家として関わってもいるのだし、頓挫したとはいえ、SF小説『デューン 砂の惑星 (Dune)』 [フランク・ハーバート (Frank Herbert) 作 1965年発表] の実写映画化 [1984年作品とは別企画] にも関わる筈だったのだから、彼をシュルレアリスム (Surrealisme) の作家と観るよりは、ポップ・アート (Pop Art) 方面での評価というモノも必要なのかもしれない。

附記 3. :
所謂、ポップ・アート (Pop Art) の騎手 [笑] として世評名高いアンディ・ウォーホル (Andy Warhol) も、幾つも幾つも、レコード・ジャケットのデザインを手がけている。と、書くと、頭の中に思い浮かべるのは、『ヴェルヴェット・アンダーグラウンド・アンド・ニコ (The Velvet Underground And Nico)』[1967年発表] だったり、『スティッキー・フィンガーズ (Sticky Fingers)』[1971年発表] だったりするかもしれない。
だけれども、彼がポップ・アート (Pop Art) に開眼する以前に、『ブルー・ライツ (Blue Lights 1)』[1958年発表] といったジャズ作品に、自身の素描画を提供している事も忘れてはいけないだろう。
もしかすると、アンディ・ウォーホル (Andy Warhol) の脳裏には、己のプロト・タイプとしてのサルバドール・ダリ (Salvador Dalí) がイメージされていたのかもしれない。

附記 4. :
だから、最初っから流しぱなしの『ディス・イズ・ポップ (This Is Pop?)』には、大きな疑問符がついているんだね。どこからどう聴いても、パワー・ポップ (Power Pop) の呼称を当時、恣にしたこの曲にこそ、疑問符がついているくらいだもの。
今回取り上げた『いったい何が今日の家庭をこれほど変え、また魅力的なものにしているのか (Just What Is It That Makes Today's Homes So Different, So Appealing?)』に限らず、ポップ (Pop) と呼ばれるモノのその殆どには、みえない疑問符がでかでかと貼付けられているのに違いないのだ。
永いタイトルの末尾に、疑問符がつけられているのは偶然だとしても。
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