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2013.01.22.10.13

とかげのしっぽ

叢や物陰にそれをみつけるやいなや、そうっとそおっと近づいて、行手を阻む様にして、頭の上から一気に押さえつける。
確かこんな獲り方で、彼らを捕まえていた様な気がする。
やつのおおきな瞳の視野に捉えられぬ様に近づくのも至難の技だし、しかも、頭部からとなると、その難易度は遥かに高くなる。
だけれども、全長の大半を占める尾を掴んでも、なんにもならない。
そいつは自ら尾を切って、見事に逃げ遂せてしまうからだ。

蜥蜴 (Lizard) の自切 (Autotomy)、つまり、蜥蜴の尻尾切り (A Lizard's Casting Off Of Its Tail (To Escape)) は、幼い頃からの経験則で知っていた。

TV番組『ウルトラマン (Ultraman)』 [19661967TBS系列] 第27話『怪獣殿下 後篇 (The Prince Of Monsters : Part 2)』 [監督:円谷一 脚本:金城哲夫若槻文三 特技監督:高野宏一] で、ゴモラ (Gomora) の尾が大阪 (Osaka) の大都会を撥ね廻る光景は、だから自明の理なのだった。

これが、後に続く特撮モノやアニメものでは、引き千切れた身体の一部が、自らの意思で持って行動したり、本体の遠隔操作に応じたり、その裁断面から新しい身体が蘇生したりする事になるのだけれども、まだまだ当時は、牧歌的な描写に徹している [そしてTVアニメ『マジンガーZ (Mazinger Z)』 [永井豪 (Go Nagai) 原作 1972年〜1974フジテレビ系列] で正義のヒーローであるタイトル・ロール自らが自切 (Autotomy) した両腕を攻撃主体として活用するロケット・パンチ (Rocket Punch) を使用した際に、この種の攻撃手法は、常套句ですらなくなってしまったのだ]。
そもそもゴモラ (Gomora) 自体が古代怪獣 (Ancient Monster)、つまり1億5000万年前に生息していた古代生物の生き遺りという設定だから、生物学的に無茶な特殊能力を持たせる訳にはいかなかったのだろう。

という、キャラクター設定の話は、単純に枕であって、本題はここからだ。

生物学上の蜥蜴 (Lizard) の自切 (Autotomy)、すなわち、蜥蜴の尻尾切り (A Lizard's Casting Off Of Its Tail (To Escape)) は、何故、切り取って生き抜こうとする蜥蜴 (Lizard) 本体の側の視点ではなくて、切られた側、つまり、尻尾の立場での言説に終始してしまうのだろうか。

曰く、蜥蜴の尻尾切り (A Lizard's Casting Off Of Its Tail (To Escape)) ではないだろうな。
曰く、蜥蜴の尻尾切り (A Lizard's Casting Off Of Its Tail (To Escape)) にあっては叶わん。

シチュエーションは敢て説明しなくても解るよね。
一蓮托生 (To Be In The Same Boat) だと思っていた人物や組織から、モノの見事に、その関係性を否定される事。しかも、多くの場合、否定されるだけではなくて、その原因となった事物への責任転嫁や頬冠り (cover up one's head and cheeks with a towel / pretend not to know) が行われてしまうのである。

まぁ、ある日ある時に、突然に切られた側からみれば、そんな薬袋もない謗りや僻みをあげつらいたいのは、ある意味で当然だ。
だけれども、時往々にして、"マイノリティ憑依" [ (C) 佐々木俊尚] 的な言説がまかりとおっている様な気がしてならない。

自らの身体のその一部を切り捨ててまで、生き抜こうとする、逞しい程の、意思とそれを裏付ける能力。
どうした訳か、もう一方にあってしかるべき評価が、都合良く忘れ去られてしまっている様な気がするのだ。

有機体全体に潜む生命とそれを維持する為の各部位との関係性や、組織体における各部局の有り様と、あるプロジェクトに関わる一個人の関わり方や、微妙に異なるそれぞれが、一派一様に、同一視点で観られ、語られている様な気がするのだ。

つまり、蜥蜴 (Lizard) の自切 (Autotomy) を、何故、危機管理能力 (Crisis Management) として観る視点が、この国の言葉にはないのだろうか、という愚問なのだ。

それ故に、"一人の生命は、全地球よりも重い"という言説が、未だに平然とまかり通ってしまっているのではないだろうか。
物語のドラマツルギーとしては、この言葉が発せられる事によって、状況の解決をより困難なモノとさせて、物語のサスペンスを延長させる効果は夥しいのだけれども。
実際の事故や事件で、この発言は、事態を単純に混迷させるだけにしか過ぎない様に思えて仕方ならないし、実際の現場では、そんな妄言を切り捨ててより実際的な現実的な対応を組むべき方向へと、進んでいる様に思えるのだ。

だからこそ、今一度、ぼく達は、3.11.のキー・ワードのひとつである"つなみてんでんこ"を思い返す必要があるのではないだろうか。
この言葉の表面にあるモノとその裏にあるモノを、今一度、自覚し直す必要があるのではないだろうか。

きっと、おそらく、遥かな昔に尻尾を喪ったぼく達は、蜥蜴 (Lizard) の様なちっぽけな生命に、喪うにたるべき存在がある事が妬ましいのに違いない。
さもなければ、かつて、喪う事によって得た、多くのモノを忘れてしまっているか、だ。

images
時には、不要かもしれない尾をもう一度、自らのモノとして再生させてあらためて、考え直す必要があるかもしれない。そんな事を時に、思う。
[掲載画像はロバート・メイプルソープ (Robert Mapplethorpe) の『鞭を持ったセルフポートレート (Self-Portrait With Bullwhip)』]

次回は「」。

附記:
ちなみに、下衆の勘繰り (The Thief Thinks All People Like Himself.) を呼び込まない為に敢て、断りを入れるとすれば、ここまで書いてきた駄文は、具体的な事故や事件、さもなければそれらに直接的に関わる、実在の関係者やその行動を、念頭に書かれたモノではない、のだ。
と、書いてしまうと、余計に悪戯な、 (The Thief Thinks All People Like Himself.) を起こしてしまうかもしれないのだけれども(苦笑)。
まぁ、もしも仮に、ここまで読んできたあなたが、 (The Thief Thinks All People Like Himself.) を誘発されてしまったとしたら、実際の問題にあたって、あなた自身ならば、どの様な行動や思考をすべきなのかを考えてもらいたいのだ。
勿論、その際には、切られた尾の立場だけでなく、切る側の蜥蜴 (Lizard) 本体の立場をも、シュミレートする事を、ぼくは望んでいるのである。
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