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2013.01.08.12.10

むらさめのつゆもまだひぬまきのはにきりたちのぼるあきのゆうぐれ

小倉百人一首 (Ogura Hyakunin Isshu : 100 Poems by 100 Poets)』のなかの一にして、『娘房干せ』の一。
つまり、『小倉百人一首 (Ogura Hyakunin Isshu : 100 Poems by 100 Poets)』の中の100首のなかにあるななつの1枚札の、その一である。
作者は寂蓮法師 (Jakuren)。

むら雨の露もまだひぬ槙の葉に霧立ちのぼる秋の夕暮 (An autumn eve: / See the valley mists arise / Among the fir leaves / That still hold the dripping wet / Of the chill day's sudden showers.)

と聴いて、結句に眩惑されて、三夕の歌の一と危うく呟きそうになるのを、一生懸命に思い止まる。何故ならば、あちらは同じ結句であって、同じ作者であって、しかも同じ出典の『新古今和歌集 (Shin Kokin Wakashu)』 [12011216年成立 撰者:源通具 (Minamoto no Michitomo)、六条有家 (Fujiwara no Ariie)、藤原定家 (Fujiwara no Teika)、藤原家隆 (Fujiwara no Ietaka)、飛鳥井雅経 (Asukai Masatsune)、寂蓮法師 (Jakuren)] なのだけれども、こちらではない。
寂蓮法師 (Jakuren) の、「秋の夕暮」とは、『さびしさはその色としもなかりけり槙立つ山の秋の夕暮』の方、なのである。

典型的な引っかけ問題としてこの時季、学習塾の講師等が滔々と留意点を述べそうなモノなのだけれども、ぼくが教師でも講師でもないのは勿論だし、教育関係者でもない上に、受験生の親ですらないのだから、そんな方向へとは、この駄文の論旨は舵を切らない。

ただ、この視点から言うべき事があるとしたら、こんな些末に汲々とするよりも、もう少し大局的な対策を立てた方がよいだろう、と言う事だ。
もしも、きみがこの先、国文学 (Japanese Literature) や国史 (History Of Japan) を専攻する堅い意志があるのならばいざ知らず、こんな揚げ足取りにしかならない様な設問を設けて、それで学生を選別する様なところは、行かなくてもよいし、行けなくても良い。
大丈夫だ。
きみが出来なければ、他の誰だって出来やしない。出来るとしたら、四六時中、和歌や『小倉百人一首 (Ogura Hyakunin Isshu : 100 Poems by 100 Poets)』の事ばかりに入れ込んでいるモノ達だ。確かに、彼らには易々と解ける設問かもしれないが、大丈夫だ。そんな彼らはきっと、きみが得意とする分野は苦手に違いないのだ。

と、誰の益にもならない気休めを吐いたところで、先に進もう。

むしろ、考えなければならないのは、寂蓮法師 (Jakuren) のふたつの「秋の夕暮」の歌が、それぞれに別の途を歩んでしまったという事だ。
これが絶対的な見地から優劣を断ぜられて、その後のそれぞれの歌の評価が確定してしまったとしたら、事態は単純だ。
一方が他方よりも格段に優れている点、もしくはその反対に、一方が他方よりも極めて劣っている点を捜し出せば良いのだ。
例え、その確定的な評価に、己が得心していなくてもそれはそれで良い。何故、世情の評価と己の評価が異なるのかを考えるのも良いだろうし、その結果、納得がいけばよし、にも関わらずに満足出来ないのならば、あくまでも自説の正しさを信じ、少数説を唱える異端者となれば良い。それだけの事なのだ。

だが、そんな単純な事態ではないのは、ご存知の通り。

新古今和歌集 (Shin Kokin Wakashu)』収録の歌の中から、結句が「秋の夕暮」であるモノから3首が選び出され、同じ作者のモノのうち、一方が選ばれ、一方が選ばれなかった。その一方で、『新古今和歌集 (Shin Kokin Wakashu)』の撰者の一人が編んだ個人的な撰集の中に、一方が選ばれ、一方が選ばれなかった。そして、その選ばれた一方と、選ばれなかった一方とは、同一の結果を観ているのではない。単純に、客観的な視点から、ふたつの歌の優劣を語る訳にはいかない。そおゆうことなのだ。
それは果たして、どういう事を顕わしているのかという問題である。

念の為に、三夕の歌と表題に掲げた歌、4首をここに並べてみよう。

三夕の歌
心なき身にもあはれは知られけり鴫立つ沢の秋の夕暮 西行 (Saigyo)
見渡せば花も紅葉もなかりけり浦の苫屋の秋の夕暮 藤原定家 (Fujiwara no Teika)
さびしさはその色としもなかりけり槙立つ山の秋の夕暮 寂蓮法師 (Jakuren)

そして
むら雨の露もまだひぬ槙の葉に霧立ちのぼる秋の夕暮 寂蓮法師 (Jakuren)

[註:少なくともネット上では、三夕の歌の英訳は発見出来なかった。と、同時に、三夕の歌という語句そのものにも該当する英訳語も見出せない。このみっつの歌を選び出す感性は、極めて日本語的な感慨なのであるというのは、いささか暴論なのだろうか。]

ところで、三夕の歌とは、ある特定の個人が選び出したモノではなくて、ながい年月の後に、いつしか誰言うともなく言われだしたモノである。だから、三夕の歌の撰者は、世間一般とも、一般的な読者とも、極めて抽象的な意味での歌壇とも、言うべきなのかもしれない。
その一方で、『小倉百人一首 (Ogura Hyakunin Isshu : 100 Poems by 100 Poets)』を編んだのは、藤原定家 (Fujiwara no Teika) そのヒトである。再び繰り返すけれども、彼は『新古今和歌集 (Shin Kokin Wakashu)』の選者の一人でもある。つまり、当時の歌壇を代表するばかりか、それ以上に、当時の詩の思潮、新古今調を自ら導いていたヒトでもある。

そこにずれがあるのだ。

例えばそれを、凄まじく下世話に解して、一般の評価と批評家の評価のずれと観る事は出来なくはない。
ベストセラーを放った作品と、受賞作品が必ずしも一致しない様なモノなのだ。

とは言え、大衆文学も大衆文化も、その概念がなかった時代の話だ。
その一方で、寂蓮法師 (Jakuren) のふたつの「秋の夕暮」の歌、『さびしさはその色としもなかりけり槙立つ山の秋の夕暮』と『むら雨の露もまだひぬ槙の葉に霧立ちのぼる秋の夕暮』とは、年月こそ違えども、そのどちらも歌合わせの席で発表されているモノだ。
前者が1191年、九条良経 (Kujo Yoshitsune) 主催の十題百首でのモノ。
後者が1201年、後鳥羽院 (Former Emperor Go-Toba) 主催の老若五十首歌合でのモノ。
つまり、いずれの歌も、少なからざる聴衆を前にして発表されたモノであり、その上に、その場で、なんらかの優劣や評価が決せられる宿命を負っている。純粋に、芸術的な指向ばかりではない負荷がその場にあると考えるべきであろうし、その負荷を前提にしての評価を得る為の作歌がなされているのに違いないのだ。

images
上に掲載するのは、寂蓮法師 (Jakuren) 自筆の『熊野懐紙』 [画像はこちらより]。
ここには勿論、いずれの「秋の夕暮れ」の歌は登場しないものの、自筆という意味で、より作者本人に迫る事が叶いそうなモノとして、登場願った。後世の画家達の手による肖像画よりも、相応しいと想う。

もしも仮に、一方が自撰集に採録されて他方が遺稿から発見されたという様な案配ならば、違う論拠を得る事も可能だ。作者自身の矜持や意図や解釈や判断を与する必要が出てくると同時に、それらから顕われる差異からふたつの歌の優劣を語り起こす可能性もあり得るからだ。
だけれども、どちらも歌会で詠われてあるのは、先に示した通り。ふたつの歌の異なる評価の、その結果には、作者自身は一向に関わっていないのだ。
ちなみに、このふたつの歌が収録された『新古今和歌集 (Shin Kokin Wakashu)』には、上にある様に、その撰者の一人として作者は任命されたものの、寂蓮法師 (Jakuren) そのヒトは、その完成を観る前に亡くなっている。

だから、ここでぼくが考えられる限りの結論としては、藤原定家 (Fujiwara no Teika) の趣味趣向の、微妙な匙加減の違い、としか、考えられ様もない。
そして、その匙加減が、ほんの些細なモノ些末なモノなのか、それとも、藤原定家 (Fujiwara no Teika) という歌人の才能や資質、もしくはその特異性に肉迫するモノなのかは、今のぼくには解らない。

尤もそれとは別に、例えばここに書かれている様な、『小倉百人一首 (Ogura Hyakunin Isshu : 100 Poems by 100 Poets)』に個人的な撰集である以外の、なんらかのある特別な意図が隠されているという、穿った観方も出来なくはない。だけれども、それをするには、今のぼくにはカードが少なすぎる。『小倉百人一首 (Ogura Hyakunin Isshu : 100 Poems by 100 Poets)』100枚だけでは足りないのだ。

と、羊頭狗肉 (Cry Wine And Sell Vinegar) の様な、竜頭蛇尾 (A Bright Beginning And A Dull Ending) の様な、歯切れの悪い物謂いを遺して、今回はこれでお仕舞いです。
正月惚けなのかもしれない。

次回は「」。

附記 1. :
同じ様に『小倉百人一首 (Ogura Hyakunin Isshu : 100 Poems by 100 Poets)』に選ばれていて、結句が「秋の夕暮」にも関わらず、三夕の歌の埒外に置かれた、もうひとつの歌『さびしさに宿を立ち出でてながむればいづこも同じ秋の夕暮 (In my loneliness / I leave my little hut. / When I look around, / Everywhere it is the same: / One lone, darkening autumn eve.)』をすっかり失念していました。
作者は、良選法師 (Ryozen) で、さらに蛇足で書き加えれば、こちらの歌も『娘房干せ』の一。つまりは1枚札。ななつの歌のうちのその一である。
しかもさらに、出典は『新古今和歌集 (Shin Kokin Wakashu)』 [12011216年成立 撰者:源通具 (Minamoto no Michitomo)、六条有家 (Fujiwara no Ariie)、藤原定家 (Fujiwara no Teika)、藤原家隆 (Fujiwara no Ietaka)、飛鳥井雅経 (Asukai Masatsune)、寂蓮法師 (Jakuren)] といきたいところなのだけれども、この歌は『後拾遺和歌集 (Goshui Wakashū)』 [10751086年成立 撰者:藤原通俊 (Fujiwara no Michitoshi)] 収録。残念。

附記 2. :
上の附記 1. を含めると、この拙論には、いつつの「秋の夕暮」の歌が登場した事になる。
しかも、当代のキー・パーソンである藤原定家 (Fujiwara no Teika) を除くと、どれもが僧籍にあるモノの作品だ。
と、いう訳で、正月惚けのぼくは、歌留多取りの代わりに、坊主めくりに勤しむ事になる。
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