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2012.12.14.23.20

『ほぼ日刊イトイ新聞』 で『それはまるで、ダンスのように。:元・世界銀行の西水美恵子さんに「支援」のお話をうかがいました。』を読む

多分、こんな内容になるとは思っていなかったのだ。
そして、この記事を読むモノの大半も、これとは別の主題が語られると思っていたのだ。

だから、この対談『それはまるで、ダンスのように。』の『第2回 それをやってきた人』の次の光景で、読者であるぼく達が、この記事から読み取るべき主題を、ようやく理解させられるのである。

西水 Thank you. です、わかってくださって。(立ち上がり、手を差し出す)
糸井 (しっかり手を握る)

そして、ここから初めて、西水美恵子 (Mieko NIshimizu)糸井重里 (Shigesato Itoi) というふたりの対談者の語ることばのひとつひとつが、ぐんぐんと読むモノの身体の中に、吸い込まれてゆくのである。

但し、必ずしも、この対談での主題が、総ての読者にとって共通のモノとは限らないかもしれない。恐らくは、読者ひとりひとりが抱えている、興味や関心や問題意識の違いによって、ぼく達ひとりひとりは異なる解読をし、異なる解釈を得て、異なる解決へと至る。
だけれども、 [ひとりひとりによって異なる] そこへ至る為の経路は、同じところを通って行くのに違いない。

例えば、これはぼくの場合。
これから書くのは、ぼく個人の、その経路の事、そして恐らくはその経路は共通解として、誰でも共有出来る筈のモノなのだ。

この連載が掲載された初回、本文を読む前に、ぼくが想像したのは、きっとここで、「支援」の答え合わせが行われるのであろう、という事なのだった。
さもなければ、日頃、糸井重里 (Shigesato Itoi) が心酔し、事ある毎に発言したり引用しているピーター・ドラッカー (Peter Drucker) [『ほぼ日刊イトイ新聞』的にはこちらで特集されている] の、その論理の現実的な運用方法に関する事かもしれない。
そんな事を想っていた。

この時季の『ほぼ日刊イトイ新聞』は、気仙沼 (Kesennuma) に『気仙沼のほぼ日』を開設して1年あまり。その当初に設けた期限が2年間というものだから、期間延長は見越してはいるものの、既に半分のスケジュールは消化してしまった。
その1年間という永い時間を費やして、新事業『気仙沼ニッティング』がようやくに立ち上がったばかりであり、その一方で、復興に勤しむヒトビトを取材した連載『東北の仕事論。』がひとつのメドが着いた模様なのである [『東北の仕事論。気仙沼 & 大船渡ひとめぐり篇』で、それぞれのヒトビトを再訪している]。

それと同じ事は、もう一方の対談者である西水美恵子 (Mieko NIshimizu) にも言える。

何故ならば、今回の対談者が、元世界銀行 (World Bank) の副総裁 (Vice President) という、「支援」のプロ中のプロであると同時に、世界経済の実務を身をもって体験し続けた人物だからなのである。
つまり、逆に言うと、そおゆう人物として、ぼくは西水美恵子 (Mieko NIshimizu) という人物を捉えていたのである。

だから、対談の『第1回 心を開いているかどうか』で糸井重里 (Shigesato Itoi) に促されて西水美恵子 (Mieko NIshimizu) が語る「現場に入っていくときの作法」に関しても、ありきたりの誰でもが答えられうる模範解答のひとつにしか思えなかったのだ。

何故ならば、ちょうどこの時季は『第46回衆議院議員総選挙 (Japanese General Election, 2012)』の真っ最中で、為政者や指導者や権力者や、もしくは、それらの座を狙っている政治家達の発言が、あふれかえっている時季だったからである。彼らのくちにのぼるのは、威勢のいい、口当たりのいい、夢や希望に満ちたモノかもしれないけれども、恐ろしく軽いのだ。只でさえ軽いそんな言葉が、いつもよりも増量されて、それ故に中身の薄いものとして、語られ続けているのである [本来ならば、こんな時季だからこそ、それらの言葉はいつもよりも重い方へと、増量すべきなんだけれどもね]。
つまり、西水美恵子 (Mieko NIshimizu) がここで語る「現場に入っていくときの作法」も、威勢のいい、口当たりのいい、量ばかりが多く中身の薄いものの様に、読もうと思えば読めなくもない。
例えば、西水美恵子 (Mieko NIshimizu) のいう「心を開いているかどうか」という言葉は、その様にして語る事が、充分に可能な修辞なのである。つまり、この記事をぼくが読んでいた部屋のその外で、只管に連呼されていた「清き一票」と、その内実はさにあれ、さして違いはないのだ。

だけれども、それが一転してしまうのは、冒頭に掲げた『第2回 それをやってきた人』の光景、西水美恵子 (Mieko NIshimizu) の行動なのである。

つまり、ここで西水美恵子 (Mieko NIshimizu) 自らが、自身の身をもって、「心を開いている」のである。

そしてそれと同時に、西水美恵子 (Mieko NIshimizu) がこれまでやってきた、その手法の一端をそのまま、ここで観る事が出来たのである。
彼女は、このようにして、現場にはいっていくのに違いないのだ。

と、いう訳で、この対談の読者であるぼくの関心と興味は、西水美恵子 (Mieko NIshimizu) という人物そのもの、より詳しく言えば、彼女の自己プレゼンテーション能力に向かうのである。

対談そのものも、『第3回 「配る」はおそろしい』『第4回 中心に据えるべきもの』では世界銀行 (World Bank) という組織の使命や行動を語ると同時に、そこでの彼女の役割が中心になっていく。そして、『第5回 鬼を見た』『第6回 やらなきゃいけない』はさらに遡って、そんな彼女の方法論や考え方が産まれ育まれたエピソードが語られるのである。

そこで語られているのを読んで行くと、西水美恵子 (Mieko NIshimizu) の言葉のひとつひとつに説得力があるのが嫌という程に、理解させられる。それは勿論、実際に現場で自身が直接に、体験したり体感した事が基にあるからだろうけれども、それだけではない。
それをきちんと裏付ける、それを語る為の技術があるのだ。
冒頭に紹介した『第2回 それをやってきた人』の光景、そこで示したパフォーマンスは、その最たるモノだ。

そして、もうひとつ。
第10回 動きなはれ、おきばりやす』で次の様な会話がある。

糸井 ときどき関西弁が混じるのが、やっぱりすごかったなぁ。
西水 ああ、癖です。
糸井 関西弁の場所を取っといてるんですよ、無意識で。ここぞというところで、出す。

会話の中では、それぞれにそれぞれの発言をしているけれども、実際は違う。
「混じる」のでもなく「癖」でもなく「無意識」でもない。むしろ、それとは逆に、意識的に使い分けているのだ。
それは、『第9回 すべては、人が成すもの』での、3.11.以降の復興に関して、糸井重里 (Shigesato Itoi) から尋ねられた時の事だ。「おとなしすぎはりますね もうちょっとわいわい騒いだほうがええんと違う?」と、自己のアイデンティティーの表出である関西弁で答えているのである。
つまり、糸井重里 (Shigesato Itoi) の発した質問に対して、答える自身の立場をきちんと明確にして、いるのである。
同じ日本人として、という内部からの視点ではなくて、[東北人ではない] 外部のニンゲンとしての感想なのである。そうして、その視点はそのまま、国外からの視点へも援用可能なのだ [ぼくの言いたい事がもしも理解できないとしたら、例えば仮に西水美恵子 (Mieko NIshimizu) が東北出身者であったらと、仮定してみればいい。自身の出身地の言葉で語るのと、所謂標準語で語るのでは、それを受けとる側に、かなりの開きがあるのではないだろうか]。

恐らく、世界銀行 (World Bank) 時代、その時々で発すべき言語を、選んで発信していたのだろう。英語なのか、日本語なのか、それとも、現地の言葉なのか、旧宗主国の遺産である公用語なのか、それぞれの言葉に自身が堪能であるか否かは関係なく、使用すべき言語は、きっとその場では、たったひとつしかないし、その言葉を選んだ結果、どの立場に立って、誰に向けて発言しているのか、それらを如実に指し示すメッセージとなってしまっているのに違いない。

だから、この対談の当初の目的である「支援」の答えあわせに関しては、『第7回 それはダンスです』や『第9回 すべては、人が成すもの』でなされるものの、ほんのつけたし程度の意味あいしかない。
否、むしろ『第10回 動きなはれ、おきばりやす』とある様に、新たな宿題として、再提出を求められている様な気がするのだ。

最期に、この駄文の基になった、西水美恵子 (Mieko NIshimizu)糸井重里 (Shigesato Itoi) の対談『それはまるで、ダンスのように。』の、それぞれのリンク先を以下に記載しておくので、もし万一、未読の方がおられるならば、こちらからアクセスしてみて下さい。
また、文中、敬称略とさせて頂いた。御了承を願う次第です。

ほぼ日刊イトイ新聞

それはまるで、ダンスのように。
第1回 心を開いているかどうか
第2回 それをやってきた人
第3回 「配る」はおそろしい
第4回 中心に据えるべきもの
第5回 鬼を見た
第6回 やらなきゃいけない
第7回 それはダンスです
第8回 同じ音楽が聞こえる
第9回 すべては、人が成すもの
第10回 動きなはれ、おきばりやす

附記 1. :
第9回 すべては、人が成すもの』で、糸井重里 (Shigesato Itoi) にある質問をされて言い淀む西水美恵子 (Mieko NIshimizu) の姿がある。
「いくつかの貧しい場所」の「立ち上がっていく姿」と「震災以降の東北の様子」の「いちばん違う」点に関して、だ。
その問いに関して、言い淀んだ果ての、西水美恵子 (Mieko NIshimizu) の回答とそれに関するぼくの推測は、上に既に書いた。
ただ、もうひとつ、書いておきたい事がある。それは、その質問の前段である「初めて聞かれました」という事である。その言葉に続く西水美恵子 (Mieko NIshimizu) の「『どこが似てるか』ばかりを考えてきた」から推測するのに、きっと、多くのヒトビトが西水美恵子 (Mieko NIshimizu) に対して、同じ様な質問を投げかけたのに違いない。
"これまで関わって来た国々と、今の東北と共通している点はなんですか?"と。
そして、その質問は、西水の回答がどの様なものであれ、次の様な質問が続く筈なのだ。
"では、西水美恵子 (Mieko NIshimizu) さんならばどの様な「支援」を行いますか?"
"世界銀行 (World Bank) としては、どの様な「支援」が可能なのでしょうか?"
まぁ、話の流れとしては順当だ。だけれども、なんとなくこんな想定問答集を、ぼくが考えてしまうのは、きっと、「いくつかの貧しい場所」と「震災以降の東北」は、全く違うモノだという、先入観が潜んでいるからに違いないのだ。
そして、その先入観には、「震災以降の東北」の「支援」は世界銀行 (World Bank) が携わる余地のない問題、つまりは、「貧しい場所」とは異なる問題がそこにあるのだ、という様な、ヘンな自負やら自信やら誤謬やらが潜んでいないだろうか。
そして、その先入観を産み出す大元には、もしかしたら、日本は先進国であって、「支援」される側の国ではない、という"貧しい"思想が根付いているのではないだろうか。
もしも、そうだとしたら、そんな質問をしてしまうぼく達は、「支援」というモノの在り方を、非常に誤解しているのではないだろうか。
もしも、それを否定したいというあなたならば、もう一度始めに戻って、この対談で語られる西水美恵子 (Mieko NIshimizu) の言葉を、充分に噛み締めるべきなのである。

附記 2. :
この対談のタイトル『それはまるで、ダンスのように。』とその言葉が登場する『第7回 それはダンスです』と『第8回 同じ音楽が聞こえる』を読んで、『シャル・ウィ・ダンス (Shall We Dance?)』という曲と、それが発表されたミュージカル『王様と私 (The King And I)』 [リチャード・ロジャース & オスカー・ハマースタイン2世 (Richard Rodgers And Oscar Hammerstein II) 作 1951年初演]、そしてそのモデルとなったふたりの実在の人物、ラーマ4世 (King Mongkut Of Siam) とアンナ・レオノーウェンズ (Anna Leonowens) の事を思い出してしまったのは、ぼくだけなのだろうか。
ラーマ4世 (King Mongkut Of Siam) とアンナ・レオノーウェンズ (Anna Leonowens) の交流が実際にどの様なものであり、それをああゆう娯楽作品に仕立て上げた事に関しては、様々な立場で異なる見解があるようだけれども、作品の中で『シャル・ウィ・ダンス (Shall We Dance?)』と手を差し出すのは、"王様 (The King)"だったのか、それとも"私 (I)"だったのだろうか。
西水美恵子 (Mieko NIshimizu) の発言の中に登場する「ブータンの国王陛下」は、「善い民主制はダンスという芸術に似る。指導者と民のダンスだ」と言って、あたかも国民に手を差し伸べている様に読めてしまうのだが。
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