2012.12.18.15.13
クロード・モネ (Claude Monet) の油彩画『印象・日の出 (Impression, soleil levant)』 [1873年制作] は、パリ (Paris) のマルモッタン美術館 (Musee Marmottan Monet) で展示されている。
1957年以来、同美術館で保管 / 展示されていたが1985年に盗難に遭い、永らくその所在が不明であったものの、1990年に"発見"されて、以来、何事もなかったかの様に、その翌年から元通りにマルモッタン美術館 (Musee Marmottan Monet) で保管 / 展示されている。
その"失踪"中の出来事は、"失踪"させた側でも"失踪"された側にも、充分に語るべき物語があるのかもしれないけれども、寡聞にして、未だにその物語を聴いた事はない。
勿論、マルモッタン美術館 (Musee Marmottan Monet) に赴いたとしても、『印象・日の出 (Impression, soleil levant)』自らが、その間の境遇を語ってくれる謂れもない。
これから書こうとしている文章は、そんな誰も語る術を持たない、この作品について、勝手気侭に綴ってみようというモノなのである。
とは言うものの、この作品の"失踪"について書くのではない。そうではなくて、この作品が世に出た当時の事に想いを馳せてみようというのである。
美術史 (Histoire de l'art) をほんの少しでも齧った事のある御仁ならば、自明の事であり、なにを今更的な事象でしかないけれども、モノゴトには順序というモノが必要なのであって、まぁ、しばらくはお付き合い願いたい。
だからと言って、必ずしも新発見の新事実が登場する訳でもないし、奇想とも空論とも受け取られかねない、奇抜な珍説や怪説が飛び出してくる訳でもない。
単純に、誰しもが知っている事実に対して、ぼくのなかにある腑に落ちない点をひとつ、ここで明かしてみようと言うだけなのである。
持って回った言い方を先程から延々にしている訳だけれども、それはある意味に於いて、これから書こうとしているモノゴトが、今更、申し立てても詮無いモノでしかない故のモノなのかもしれないからなのである。

『印象・日の出 (Impression, soleil levant)』という作品は、1874年に開催された、サロン・ド・パリ (Salon de Paris) からの落選展、その名も『画家、彫刻家、版画家無名芸術家協会展 (Societe anonyme des artistes peintres, sculpteurs et graveurs)』に於いて公開された。
その展覧会を観たジャーナリストのルイ・ルロワ (Louis Leroy) が、日刊風刺新聞『ル・シャリヴァリ (Le Charivari)』において『印象主義者の展覧会 (L'exposition des Impressionnistes)』と題して、その展覧会を「まだ描きかけの壁紙でも、この海景画よりはもっと仕上がっていますよ! (Impression... J'en etais sur... puisque je suis impressionne, il doit y avoir de l'impression la-dedans !... )」と酷評する。
そこで使われた侮蔑的な意味あいの中にある語句、"印象 (Impression)"を逆に引き受けて、その後に開催される落選展は『印象派展 (La premiere exposition des impressionnistes)』と銘打つ事になる。
と、同時に、この展覧会に帰属し、もしくは、この展覧会から飛び立つ、新しい才能と新しい表現を、印象派ないしは印象主義 (Impressionnisme) と、呼ぶ事になるのである。
それ故に、1874年の『画家、彫刻家、版画家無名芸術家協会展 (Societe anonyme des artistes peintres, sculpteurs et graveurs)』は遡って、第1回『印象派展 (La premiere exposition des impressionnistes)』と呼称される事になる。
だから、教科書的な説明をしようとすれば、1874年開催の第1回『印象派展 (La premiere exposition des impressionnistes)』に出品されたクロード・モネ (Claude Monet) の作品『印象・日の出 (Impression, soleil levant)』の名をとって、クロード・モネ (Claude Monet) とその仲間の属するグループを印象派ないしは印象主義 (Impressionnisme) と呼ぶ様になった、という事になるのである。
大概のモノはこれで納得するだろう。
だが、もう少し、考えのあるモノは、次の様に考えるかもしれない。
クロード・モネ (Claude Monet) は何故、自作の名を『印象・日の出 (Impression, soleil levant)』としたのだろうか、と。
それに関しては、クロード・モネ (Claude Monet) 自身のことばによるモノとして、次の様な逸話として説明されている。
当初、クロード・モネ (Claude Monet) は単純に『日の出 (soleil levant)』としていた。しかし、『画家、彫刻家、版画家無名芸術家協会展 / Societe anonyme des artistes peintres, sculpteurs et graveurs』用のカタログを作成する段になって、その編集者から物言いがついてしまう。作品名としてはあまりに短い、というのである。
そこで、クロード・モネ (Claude Monet) は現行のモノとした。つまり、短いと不興を買った題名に"印象 (Impression)"という文字を添えたのである。
その行為は、クロード・モネ (Claude Monet) 自身によって、次の様な説明が加えられている。
この作品はル・アーヴル (Le Havre) の光景を描いたモノだけれども、この作品を例えば仮に『ル・アーヴル (Le Havre) の日の出』という様に、その具体的な名をそこに据えるのには、流石に相応しくない。
だから、"印象 (Impression)"という言葉を加えたのだ、と。
どうだろうか。
この画家自身の説明を読めば、この作品が、通常の風景画とは別の場所を目指して、描かれているのだろうと、想像するのは難くない。そうして、それはそのまま、この作品のみならず、クロード・モネ (Claude Monet) という画家自身の作風の説明でもあると同時に、彼と彼のこの作品が興したとされる印象派ないしは印象主義 (Impressionnisme) そのものの解説として、あり得るのかもしれない。
ここで終えてしまってもいいのかもしれないけれども、実は本題はこの先にある。
始めの方に書いたけれども、印象派ないしは印象主義 (Impressionnisme) という言葉は、それらが出品された展示会を評する為に顕われた表現であって、しかもそれは、好意的な語句では決してない。悪評であるし酷評である。そして、勿論、その語句を使ったルイ・ルロワ (Louis Leroy) 自身もその意図で書き顕わしている [それとは逆に寧ろ、こちらで紹介されている様に、ルイ・ルロワ (Louis Leroy) は彼らを擁護する為にその語句を使ったという解釈もある]。
だが、どうなのだろう。
彼の眼から観れば、恐らく、観るに耐えられない展覧会であって、数多くの作品が観る価値もないモノに映じたのに違いない [と、これまで通りの通説に従って書き進めてゆくけれども]。
しかし、それをたった一言で断罪するのに、あるひとつの作品の、その題名だけに総てを象徴させているのである [だからこその擁護説も登場し得る訳だけれども]。
好悪、功罪、善し悪し、等の価値判断とは別のところで、この作品とこの作品の題名が、酷く"印象 (Impression)"深いモノだったのに違いない。
第1回の『印象派展 (La premiere exposition des impressionnistes)』、つまり正式名称『画家、彫刻家、版画家無名芸術家協会展 (Societe anonyme des artistes peintres, sculpteurs et graveurs)』は、必ずしも、所謂印象派ないしは印象主義 (Impressionnisme) の作品だけを集めたモノではない。単純に、サロン・ド・パリ (Salon de Paris) に落選した作品が、ここに終結しただけに過ぎないのだ。偶々、クロード・モネ (Claude Monet) を筆頭に据えて、エドガー・ドガ (Edgar Degas)、ピエール=オーギュスト・ルノワール (Pierre-Auguste Renoir)、ポール・セザンヌ (Paul Cezanne)、カミーユ・ピサロ (Camille Pissarro)、ベルト・モリゾ (Berthe Morisot)、ジャン=バティスト・アルマン・ギヨマン (Jean-Baptiste Armand Guillaumin)、アルフレッド・シスレー (Alfred Sisley) らがここに集結してしまったから、後代のぼく達の眼に、さも印象派ないしは印象主義 (Impressionnisme) の牙城の様なモノに観えてしまうだけなのである。
『印象・日の出 (Impression, soleil levant)』は出品されたモノの中のひとつ、ワン・オヴ・ゼム (One Of Them) に過ぎないのだ。
にも関わらずに、その展覧会を象徴させるモノとして、この作品の題名を取り上げられたのは、何故なのか。
通常は、ルイ・ルロワ (Louis Leroy) という人物の役回りは、印象派ないしは印象主義 (Impressionnisme) という新しい潮流を見抜けなかった人物、しかも、それを殊更に酷評した人物として、損な立場に追いやられているが、果たしてそうなのか。それだけなのか。
むしろ、投げかけるその言葉そのものは軽蔑的で差別的なモノだけれども、もしかしたら、他の作品にはないモノ、もしくは、今までの美術作品にはないモノをその作品に、彼もまた見出してしまっていたのかもしれないのだ。
でなければ、その否定的な語句を投げかけられた方の側の人間が、第2回目以降の展覧会を敢て『印象派展 (La premiere exposition des impressionnistes)』と呼ぶべき筈はないのである。
"印象 (Impression)"という言葉そのものに込められた感情は、流石に異なったモノなのだろうけれども、その言葉の中に潜んでいる本質的なモノは、両者それぞれにとって、的確に表している語句なのではないだろうか。
次回は「で」。
附記:
それ故に、『印象・日の出 (Impression, soleil levant)』という作品を巡る言辞は、第1回『印象派展 (La premiere exposition des impressionnistes)』での挿話から書き起こし、それだけでその論評を終始 / 終止させてしまっているモノばかりなのである。
つまりは、この作品から印象派ないしは印象主義 (Impressionnisme) が興り、それ故にこの作品が名画たる所以なのである、と。
さもなければ、クロード・モネ (Claude Monet) という画家の、それから先の画業を誇るがための、その最初の一歩である、という様な。
それらは必ずしも、事実に反したモノではないのだろうけれども、ある意味で、何も語っていないに等しくて、語るべき所から逃避してしまっている様に思える。
だから、印象派ないしは印象主義 (Impressionnisme) の頁や、クロード・モネ (Claude Monet) の頁の冒頭にこの作品を据えるのではなくて、1874年の『画家、彫刻家、版画家無名芸術家協会展 (Societe anonyme des artistes peintres, sculpteurs et graveurs)』の全出品作品を網羅した頁の中に置いて、如何にこの作品の個性と表現が特異であり突出していたのかを、語るべきではないだろうか。
つまり、ルイ・ルロワ (Louis Leroy) の言葉『印象主義者の展覧会 (L'exposition des Impressionnistes)』を超えるべきモノを、己の言葉として呈示すべきではないだろうか。
なんとなれば、ここで発話された"印象 (Impression)"という語句が、未だに、本作品やクロード・モネ (Claude Monet) の他の作品や、同時代の幾つもの作品を凝視める眼を、濁らせている、そんな風にも読めてしまうからなのである。
1957年以来、同美術館で保管 / 展示されていたが1985年に盗難に遭い、永らくその所在が不明であったものの、1990年に"発見"されて、以来、何事もなかったかの様に、その翌年から元通りにマルモッタン美術館 (Musee Marmottan Monet) で保管 / 展示されている。
その"失踪"中の出来事は、"失踪"させた側でも"失踪"された側にも、充分に語るべき物語があるのかもしれないけれども、寡聞にして、未だにその物語を聴いた事はない。
勿論、マルモッタン美術館 (Musee Marmottan Monet) に赴いたとしても、『印象・日の出 (Impression, soleil levant)』自らが、その間の境遇を語ってくれる謂れもない。
これから書こうとしている文章は、そんな誰も語る術を持たない、この作品について、勝手気侭に綴ってみようというモノなのである。
とは言うものの、この作品の"失踪"について書くのではない。そうではなくて、この作品が世に出た当時の事に想いを馳せてみようというのである。
美術史 (Histoire de l'art) をほんの少しでも齧った事のある御仁ならば、自明の事であり、なにを今更的な事象でしかないけれども、モノゴトには順序というモノが必要なのであって、まぁ、しばらくはお付き合い願いたい。
だからと言って、必ずしも新発見の新事実が登場する訳でもないし、奇想とも空論とも受け取られかねない、奇抜な珍説や怪説が飛び出してくる訳でもない。
単純に、誰しもが知っている事実に対して、ぼくのなかにある腑に落ちない点をひとつ、ここで明かしてみようと言うだけなのである。
持って回った言い方を先程から延々にしている訳だけれども、それはある意味に於いて、これから書こうとしているモノゴトが、今更、申し立てても詮無いモノでしかない故のモノなのかもしれないからなのである。

『印象・日の出 (Impression, soleil levant)』という作品は、1874年に開催された、サロン・ド・パリ (Salon de Paris) からの落選展、その名も『画家、彫刻家、版画家無名芸術家協会展 (Societe anonyme des artistes peintres, sculpteurs et graveurs)』に於いて公開された。
その展覧会を観たジャーナリストのルイ・ルロワ (Louis Leroy) が、日刊風刺新聞『ル・シャリヴァリ (Le Charivari)』において『印象主義者の展覧会 (L'exposition des Impressionnistes)』と題して、その展覧会を「まだ描きかけの壁紙でも、この海景画よりはもっと仕上がっていますよ! (Impression... J'en etais sur... puisque je suis impressionne, il doit y avoir de l'impression la-dedans !... )」と酷評する。
そこで使われた侮蔑的な意味あいの中にある語句、"印象 (Impression)"を逆に引き受けて、その後に開催される落選展は『印象派展 (La premiere exposition des impressionnistes)』と銘打つ事になる。
と、同時に、この展覧会に帰属し、もしくは、この展覧会から飛び立つ、新しい才能と新しい表現を、印象派ないしは印象主義 (Impressionnisme) と、呼ぶ事になるのである。
それ故に、1874年の『画家、彫刻家、版画家無名芸術家協会展 (Societe anonyme des artistes peintres, sculpteurs et graveurs)』は遡って、第1回『印象派展 (La premiere exposition des impressionnistes)』と呼称される事になる。
だから、教科書的な説明をしようとすれば、1874年開催の第1回『印象派展 (La premiere exposition des impressionnistes)』に出品されたクロード・モネ (Claude Monet) の作品『印象・日の出 (Impression, soleil levant)』の名をとって、クロード・モネ (Claude Monet) とその仲間の属するグループを印象派ないしは印象主義 (Impressionnisme) と呼ぶ様になった、という事になるのである。
大概のモノはこれで納得するだろう。
だが、もう少し、考えのあるモノは、次の様に考えるかもしれない。
クロード・モネ (Claude Monet) は何故、自作の名を『印象・日の出 (Impression, soleil levant)』としたのだろうか、と。
それに関しては、クロード・モネ (Claude Monet) 自身のことばによるモノとして、次の様な逸話として説明されている。
当初、クロード・モネ (Claude Monet) は単純に『日の出 (soleil levant)』としていた。しかし、『画家、彫刻家、版画家無名芸術家協会展 / Societe anonyme des artistes peintres, sculpteurs et graveurs』用のカタログを作成する段になって、その編集者から物言いがついてしまう。作品名としてはあまりに短い、というのである。
そこで、クロード・モネ (Claude Monet) は現行のモノとした。つまり、短いと不興を買った題名に"印象 (Impression)"という文字を添えたのである。
その行為は、クロード・モネ (Claude Monet) 自身によって、次の様な説明が加えられている。
この作品はル・アーヴル (Le Havre) の光景を描いたモノだけれども、この作品を例えば仮に『ル・アーヴル (Le Havre) の日の出』という様に、その具体的な名をそこに据えるのには、流石に相応しくない。
だから、"印象 (Impression)"という言葉を加えたのだ、と。
どうだろうか。
この画家自身の説明を読めば、この作品が、通常の風景画とは別の場所を目指して、描かれているのだろうと、想像するのは難くない。そうして、それはそのまま、この作品のみならず、クロード・モネ (Claude Monet) という画家自身の作風の説明でもあると同時に、彼と彼のこの作品が興したとされる印象派ないしは印象主義 (Impressionnisme) そのものの解説として、あり得るのかもしれない。
ここで終えてしまってもいいのかもしれないけれども、実は本題はこの先にある。
始めの方に書いたけれども、印象派ないしは印象主義 (Impressionnisme) という言葉は、それらが出品された展示会を評する為に顕われた表現であって、しかもそれは、好意的な語句では決してない。悪評であるし酷評である。そして、勿論、その語句を使ったルイ・ルロワ (Louis Leroy) 自身もその意図で書き顕わしている [それとは逆に寧ろ、こちらで紹介されている様に、ルイ・ルロワ (Louis Leroy) は彼らを擁護する為にその語句を使ったという解釈もある]。
だが、どうなのだろう。
彼の眼から観れば、恐らく、観るに耐えられない展覧会であって、数多くの作品が観る価値もないモノに映じたのに違いない [と、これまで通りの通説に従って書き進めてゆくけれども]。
しかし、それをたった一言で断罪するのに、あるひとつの作品の、その題名だけに総てを象徴させているのである [だからこその擁護説も登場し得る訳だけれども]。
好悪、功罪、善し悪し、等の価値判断とは別のところで、この作品とこの作品の題名が、酷く"印象 (Impression)"深いモノだったのに違いない。
第1回の『印象派展 (La premiere exposition des impressionnistes)』、つまり正式名称『画家、彫刻家、版画家無名芸術家協会展 (Societe anonyme des artistes peintres, sculpteurs et graveurs)』は、必ずしも、所謂印象派ないしは印象主義 (Impressionnisme) の作品だけを集めたモノではない。単純に、サロン・ド・パリ (Salon de Paris) に落選した作品が、ここに終結しただけに過ぎないのだ。偶々、クロード・モネ (Claude Monet) を筆頭に据えて、エドガー・ドガ (Edgar Degas)、ピエール=オーギュスト・ルノワール (Pierre-Auguste Renoir)、ポール・セザンヌ (Paul Cezanne)、カミーユ・ピサロ (Camille Pissarro)、ベルト・モリゾ (Berthe Morisot)、ジャン=バティスト・アルマン・ギヨマン (Jean-Baptiste Armand Guillaumin)、アルフレッド・シスレー (Alfred Sisley) らがここに集結してしまったから、後代のぼく達の眼に、さも印象派ないしは印象主義 (Impressionnisme) の牙城の様なモノに観えてしまうだけなのである。
『印象・日の出 (Impression, soleil levant)』は出品されたモノの中のひとつ、ワン・オヴ・ゼム (One Of Them) に過ぎないのだ。
にも関わらずに、その展覧会を象徴させるモノとして、この作品の題名を取り上げられたのは、何故なのか。
通常は、ルイ・ルロワ (Louis Leroy) という人物の役回りは、印象派ないしは印象主義 (Impressionnisme) という新しい潮流を見抜けなかった人物、しかも、それを殊更に酷評した人物として、損な立場に追いやられているが、果たしてそうなのか。それだけなのか。
むしろ、投げかけるその言葉そのものは軽蔑的で差別的なモノだけれども、もしかしたら、他の作品にはないモノ、もしくは、今までの美術作品にはないモノをその作品に、彼もまた見出してしまっていたのかもしれないのだ。
でなければ、その否定的な語句を投げかけられた方の側の人間が、第2回目以降の展覧会を敢て『印象派展 (La premiere exposition des impressionnistes)』と呼ぶべき筈はないのである。
"印象 (Impression)"という言葉そのものに込められた感情は、流石に異なったモノなのだろうけれども、その言葉の中に潜んでいる本質的なモノは、両者それぞれにとって、的確に表している語句なのではないだろうか。
次回は「で」。
附記:
それ故に、『印象・日の出 (Impression, soleil levant)』という作品を巡る言辞は、第1回『印象派展 (La premiere exposition des impressionnistes)』での挿話から書き起こし、それだけでその論評を終始 / 終止させてしまっているモノばかりなのである。
つまりは、この作品から印象派ないしは印象主義 (Impressionnisme) が興り、それ故にこの作品が名画たる所以なのである、と。
さもなければ、クロード・モネ (Claude Monet) という画家の、それから先の画業を誇るがための、その最初の一歩である、という様な。
それらは必ずしも、事実に反したモノではないのだろうけれども、ある意味で、何も語っていないに等しくて、語るべき所から逃避してしまっている様に思える。
だから、印象派ないしは印象主義 (Impressionnisme) の頁や、クロード・モネ (Claude Monet) の頁の冒頭にこの作品を据えるのではなくて、1874年の『画家、彫刻家、版画家無名芸術家協会展 (Societe anonyme des artistes peintres, sculpteurs et graveurs)』の全出品作品を網羅した頁の中に置いて、如何にこの作品の個性と表現が特異であり突出していたのかを、語るべきではないだろうか。
つまり、ルイ・ルロワ (Louis Leroy) の言葉『印象主義者の展覧会 (L'exposition des Impressionnistes)』を超えるべきモノを、己の言葉として呈示すべきではないだろうか。
なんとなれば、ここで発話された"印象 (Impression)"という語句が、未だに、本作品やクロード・モネ (Claude Monet) の他の作品や、同時代の幾つもの作品を凝視める眼を、濁らせている、そんな風にも読めてしまうからなのである。
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