2012.07.31.17.01
樹々の裏々や木陰の葉々で蝸牛 (Snail) を発見した子供達は、歌で唄われている様に、彼の一対の触覚をつついたり、彼の往く先を妨害したり、ひいては貝殻に閉じ篭ってしまった彼をポケットの中に放り込んで自宅へと持ち帰ってしまう。
その後の彼の運命はどうなるのかは知らない。
ポケットの中に仕舞われたままになっている彼を発見した母親の、度量の問題で総ては決定される様に思われるのだ。
大声で悲鳴を揚げるのか、己の子供に元の場所へ戻せと命ずるのか、黙って彼を飼育出来る環境を整えるのか。その総ては、彼女の許容範囲のおおきさで決定されるのだ。
だが、これが蛞蝓 (Slug) ともなると、勝手が違う。もしもその母親が、土間の片隅や庭の縁石にでも発見すればその途端に、黙って彼に食塩を投じ、抹殺してしまうのである。
喩えに揚げた例は極端にしても、あながち、蝸牛 (Snail) と蛞蝓 (Slug) に対する認識は、得てして上の様なものだろう。
陽に対する陰、善に対する悪、是に対する非、諾に対する否。
農業や園芸の観点から観ると、いずれも、育てている食物の葉を喰い荒らす害虫である訳なのだけれども。
生物学的に観れば、完全に陸棲生物となった時点で、貝殻を放棄した蛞蝓 (Slug) の方が未だにそれに依存している蝸牛 (Snail) よりも進化して観えるのだけれども、実際のところはどうなのだろう。貝殻を棄てきれなかったおかげで、棲息可能な場所は広がって観える蝸牛 (Snail) の方が、こと生存という点に於いても、蛞蝓 (Slug) よりは遥かに優位に観えるのだ。
今回は、そおゆうお話です。
read a continuance of : "なめくじ"